台湾における日本企業の役割が、従来の製造中心の外注拠点から、サービス、マーケット、そして地域運営の拠点へと変化する中で、人材戦略も構造的な課題に直面し始めている。 近年では、台湾の人材にとって日系企業の魅力が徐々に低下しており、その背景には単に給与競争力の低下だけでなく、組織文化やガバナンスの在り方が、台湾の職場環境の変化スピードに追いついていないことがある。
新しい世代の労働者が「安定」を最優先の価値としなくなった今、日系企業が当然としてきた多くの管理慣行が、現地の職場感覚と乖離しつつあり、「人材マネジメント」が台湾における日系企業の事業深化において、ひとつの重要な分岐点となっている。
1. 雇用ブランドの魅力が薄れつつある
かつて台湾において日系企業は「安定した雇用」の象徴とされていた。多くの求職者にとって、日系企業に入社することは、整った制度、厳格な管理、充実した研修制度を意味していた。しかし、こうした雇用ブランドの優位性は、今の若い世代にとっては次第に魅力を失いつつある。Z世代や若手の職場人材は、成長のスピード、学習機会、透明性、そしてオープンな組織文化といった要素をより重視している。
一方で、年功序列、終身雇用、集団的意思決定といった日系企業の伝統的な仕組みは、柔軟性と自己実現を重視する現代のキャリア観においては、時代遅れに映ることが少なくない。特に、欧米系の外資企業やスタートアップが「高い挑戦と高い報酬」を提供する中で、日系企業の魅力は相対的に低下している。語学力や国際的な経験を持つ中堅~ハイポテンシャル層ほど、日系企業への入社意欲は年々減少傾向にある。
この魅力の低下は、「ブランドの歴史」や「企業規模」といった要素だけで回復できるものではない。デジタル時代において、雇用ブランドの本質は、過去の栄光ではなく、実際の従業員体験、制度設計、そして文化との相性に現れる。日系企業が主体的に変革を進めなければ、今後の人材獲得競争でさらに不利な立場に置かれる可能性がある。

2. 移植された経営モデルの限界
多くの日系企業では、台湾拠点においても依然として本社が制度設計や人事方針を主導しており、報酬体系、職務ローテーション、昇進プロセス、業績評価基準なども日本式のまま運用されている。こうした制度移転は日本国内では機能していても、台湾の職場環境においてはさまざまな摩擦を生んでいる。
最も顕著なのは、意思決定のスピードと責任分担の非対称性である。日系企業は合意形成とリスク回避を重視するため、社内承認プロセスが長期化しやすく、権限も過度に集中しがちである。台湾の従業員にとっては、このような仕組みは行動のスピードを下げるだけでなく、仕事への達成感や主体性を損なう要因にもなり得る。中には、「実行は現地チームが担うが、最終判断は日本人マネージャーが行う」という矛盾した構造が存在し、結果としてコミュニケーション効率や組織内の信頼感が低下してしまうケースもある。
さらに課題となるのが、コミュニケーション文化の違いである。日本式の「空気を読む」「曖昧に伝える」スタイルは、間接的で丁寧かつ対立を避ける文化に根ざしているが、台湾の職場では、率直なフィードバック、チーム間の対話、個々の意見の発信がますます重視されている。こうした習慣の違いが相互に調整されず、適切に再設計されなければ、誤解や誤認識、さらには組織内の摩擦を引き起こす可能性が高い。特に部門横断型や多言語の業務環境ではその傾向が顕著である。
制度だけを一方的に移植しても、文化の再構築が伴わなければ、むしろ「適応できない構造」を強化することになる。台湾拠点における経営は、単なる「プロセス調整」ではなく、組織文化がどのように現地の人材に「参加している」という実感を与えられるかを根本から再考することが求められている。
3. 従業員体験の分断
企業が人材マネジメント戦略をタイムリーに見直せない場合、その影響はまず離職率や組織風土の変化として表れる。台湾の労働市場全体を見ても、中堅・ハイポテンシャル層の流動性が高まっている傾向が明らかになっている。 安定を経営の中核に据える日系企業にとって、こうした変化は、社内の人材ギャップや育成プロセスの分断といった課題を一層深刻化させる可能性がある。
この傾向は、いわゆる「心理的契約」の断絶を示している。つまり、従業員が企業に期待するものが満たされなければ、長期的なコミットメントを失いやすくなるということだ。柔軟性や挑戦志向を重視する欧米企業に比べ、多くの日系企業はいまだに安定雇用、社内昇進制度、画一的な福利厚生によって人材を引きつけ、定着させようとしている。しかし、こうした制度設計は、若い世代の職場に対する価値観に十分応えるものとは言いがたく、以下の三つの心理的要素を見落としがちである:
- マネジメントスタイルが意見表明やプロセスへの提言を許容しているか
- 昇進が透明であり、学習機会が明確に提供されているか
- 柔軟な働き方、心理的なサポート、仕事の意味づけが実感できるか
これらの条件が満たされない場合、たとえ給与が高く制度が整っていても、従業員はより文化的に適合し、成長が実感できる職場へと移る可能性が高くなる。
4. 日系管理職における世代ギャップと適応課題
一部の企業はすでに人材制度のローカル化の必要性を認識しているものの、実際の取り組みの成果は依然として限定的である。その背景には、多くの日系企業が台湾現地の組織運営や意思決定を、依然として本社から派遣された日本人管理職に大きく依存しているという構造的な問題がある。これらの管理職の多くは50代以上で、本社で長年勤務してきた幹部であり、日本国内の業務慣行には精通しているが、台湾の労働市場のロジック、管理文化、新世代の人材特性については十分な理解があるとは言い難い。
その結果、台湾支社では制度面で本社の手続きを踏襲し、文化面でも日本式のロジックを模倣する傾向があるが、こうした運用はしばしば現地の実情と衝突を起こす。たとえば、報告書のフォーマット、昇進審査、人事異動に関する本社の方針は、現地の実務環境と乖離しており、台湾の従業員にとっては「貢献している」という実感や組織への帰属意識が得にくい構造となっている。
また、台湾の若手社員が主体的に意見を述べたり、制度に対する提案を行った際に、一部の日本人管理職はそれを日本式の職場慣行に照らして解釈し、「未熟」あるいは「忠誠心に欠ける」と受け取ってしまう場合がある。このような文化的ギャップは、時に意図の誤解を招き、コミュニケーション効率や信頼関係の構築に影響を及ぼすことがある。こうした世代間および異文化間の認識の差異は、グローバル組織において長期的に向き合うべき課題である。制度設計や文化的な育成メカニズムによって調整を図ることで、組織内の認識統一を促進し、変革推進力を高めることが可能となる。
したがって、制度改革や組織再構築を語る前に、まず問うべきは「企業が自らのガバナンス構造を再検討し、現地チームに実質的な参加権限と裁量を与える覚悟があるかどうか」である。そうでなければ、いかに先進的な人事制度や評価システムを導入しても、閉鎖的な意思決定構造のもとでは期待される成果を発揮するのは難しい。
5. 台湾における日系企業の次なる一手――組織と人材の新たな契約を結び直すこと
日本企業が台湾での事業をさらに深化させていくためには、言語や文化の違いを超えた、より本質的な「ガバナンスの考え方」や「人材に対する価値観」の見直しが求められている。職場における価値観が急速に変化する時代においては、従来の「安定」や「制度」も依然として重要ではあるが、それだけでは不十分であり、より柔軟で現地に根ざした理解が不可欠となる。
在地化とは、単に制度を部分的にローカライズすることではない。それは、人と組織の関係性を根本から見つめ直すプロセスでもある。企業が人材を「共創のパートナー」として捉え、文化と制度の間に新たなバランスを築くことができれば、台湾における日系企業の存在も、単なる海外拠点ではなく、持続的な成長と価値を生む協働のプラットフォームへと進化していくだろう。